いや〜相変わらず苫米地さんトーク面白いですね。
作家の中村うさぎさんと脳科学者の苫米地英人さんの対談本はいくつか読んでいて、お二人の絶妙なトークのかみ合い具合が好きでして。
苫米地さんの、科学者らしく理論を駆使した話に、うさぎさんならではの現実的なツッコミがいい具合に合いの手として入ってきて、それに対して苫米地さんんがまた分かりやすく説明しようとする形。
なので対談形式だと、難しい脳の話なんかも普段の苫米地さんの本が苦手な人でも理解しやすいみたいです。
さらに今回は「だめんず・うぉーか〜」で有名な漫画家の倉田真由美さんも加えた3人での対談動画が面白かったので紹介しますね。
朝の朝礼の「前習え」は洗脳教育?
中村うさぎさん扮する謎の坊主、「中村直腸」がゲストを読んで対談するというシリーズ。
今回の苫米地さんと倉田さんとの対談動画は1〜9まで分かれていてちょっと長いんですが、3/9から遅れて入ってくる苫米地さんが話し始めるので、その辺りから見ると良いかもしれません。
今回のこの対談動画でなにが面白いかっていうと、日本の学校で朝礼や体育の授業で日常的に行われている「前習え教育」は思考停止教育だから絶対にやめるべき!という苫米地さんと、
それに対して倉田さんが主張するところの、「前習え教育は協調性を育む為に必要」だという意見で、すこし対談がヒートアップするところですね。
協調性と自由主義
この「前習え問題」、苫米地さんはいろいろな著書やトークの中でよく日本の教育がいかに洗脳教育であるかについてを話すときに例に出すんですが、今回倉田さんのように真っ向から対立する意見をぶつけてくる対談は聞いたことがなかったので、新鮮でしたね。
倉田さんの意見としては、前習えのメリットは以下。
協調性を持った子供になる。
朝礼などで皆で整列するときに一定の間隔を保てる。さらに前習えをしたあと、その場で座ることになっても、等間隔のスペースが出来ているのでみんなが座りやすい。
といったようなこと。
これに対して苫米地さん曰く、目上の人から「前習え!」といわれてじぶんの頭で考えることなく盲目的に行動するように日常的に子供に強制するのはまぎれもない洗脳教育。
そもそも、朝礼のときに一定の間隔を保つ必要なんてないし、話を聞く為に集まっているなら話が聞ければそれでよし。
座りやすいかどうかも本人が座りやすいように座れば良いだけの話。
あくまでも、子供たち本人が決めて行動することが一番大事。
なので「前習え」はやはり、本人の意思とは無関係にただ単に、目上の人の命令に盲目的にしたがう人間を育てる為の洗脳教育である。
そんな感じで対談は進んでいきます。
倉田さんはある意味すごく普通の主婦の感覚なんでしょうかね?
今の世代の親ってこの前習え教育についてどう思ってる人が多いのかな?
苫米地さんは自身の息子さんが前習えさせられているのを見て、私立の学校に転校させたそうです。
根本を疑う発想が必要
それにしても面白いですねこの「前習え」問題。
ぼくですか?
ぼくの意見は「正直難しいもんだなぁ」と。
もちろん理想は苫米地さんの言うような自由教育が出来れば理想なんですが、単に欧米型の自由主義、自己責任の教育を日本で行うと、とんでもなく崩壊しそうですよね。。
整列しなかったらおしゃべりとかし始めてめちゃくちゃになりそうですしね。
あ、書いてて思いましたが、こういう風に思ってしまうぼくもヤバいですね。
洗脳されてんのかな?w
そもそも朝礼に意味があるのか?を、まずは問わなければいけないですよね。汗
習慣ありきで物事を考えてはいけません。
本当に朝からつまらない教師の話を聞く必要があるのか?
おしゃべりをやめて聞きたくなるくらいの面白い話をできる大人が教育者になるべきなのではないか?
そもそも「教育者」という発想がインターネットがこれだけ普及した社会で果たして本当に存在意義があるのか?
もし、各自が高度な教育をいつどこでも受けられるならば、学校に行く意味は?
実際、iTunes UniversityやMooc、Udemyといったインターネット上で初等教育から、大学教育まで無料で大抵の知識は身につけられますからね。
など、根本的な「問い」が尽きなくなりますね。
もう既に「学校」という枠自体が淘汰されていく存在なのかも知れませんね。
かといって、学校がなくなったら社会性をどこで身に付けるのかという課題もあるわけでして。
やっぱり難しいテーマですね。
またいろいろ考えて、書いてみたいと思います。
では。
⇒人目惚れの心理と、させる方法がここに!?本レビュー[騙されない生き方]苫米地英人&中村うさぎ