じぶんが立てた目標を疑うのが大事?
習慣化、大事ですよね。
なにごとも、はじめてからそれをするのが当たり前というような習慣になるまで続くことと、いわゆる三日坊主になってやめてしまうことがありますよね。
仕事でもダイエットなんかでも、新年になったりすると、心機一転で目標設定し、あたらしいじぶんになるため、皆走り出します。
ここで大事になってくるのが、目標設定という当たり前のことを疑うということ。
えっなんで??目標を疑うってなに?
と、思うかもしれませんが、かなり疑う必要があるんです。
目標=過去のじぶん。
というのも、たとえば年が明けたり、何かの節目の時、彼氏彼女と別れたあとなどなんでもいいのですが、これからは違う自分になる!と決意して目標設定することが多いと思います。
で、しばらくしていい感じで目標達成に向かって進めていればよいのですが、いまいち日々の生活に中に取り入れづらく、習慣化できずになかなか以前決めた目標に向かえない。
そんなこともあるかと思います。
たびたび人はそこで、それを失敗ととらえて、じぶんを責めてしまいがちです。
目標を設定した過去のじぶんを責め、目標達成できない今のじぶんを責めているのです。
でもこれ、よくよく考えるとおかしな話で、別にじぶんを責める必要なんてないんですね。
目標設定がじぶんにフィットしなかったという、1サンプルが採れただけなんですね。
むしろ成長しているんです。長期的に見れば。
有名な話ですが、エジソンは電球を発明するまで何百もの素材を試して、何度も失敗したそうですが、その度、またひとつ電球に向かない素材を発見した!と言ったそうです。
エジソンですら何百回も失敗しているのに、ぼくらが一回の失敗でじぶんを責めるのはなぜでしょうか?
それは、失敗したという[経験]を[じぶん]に置き換えてしまっているからです。
失敗の1サンプルが採れたにすぎないんです。
かなり貴重な経験じゃないですか。
誰のものでもないじぶんだけのデータなんですから。
なのですぐにもっとじぶんに合うやり方、じぶんに合う目標を組み直せばいいだけなんです。
過去の目標設定に囚われない。
それを繰り返すうちに、たとえ最初の目標と全然違う場所にたどりついてもいいじゃないですか別に。
最初からストレートに目標が定まり、それを達成しようというのは、幻想に近いと思った方がいいです。
それはまるで未来のじぶんのことが今、分かるとでも言うような話ですから。
過去にたてた目標に縛られず、流れる水のようにじゃないですけど、変化しつづけ
サンプルをとりながら失敗を積み重ねて、いずれその上に立つとき、それを成功と言えばいいのです。